top of page
検索
  • kiiroie

アトリエグレープフルーツギャラリー開設記念展Vol.2

アトリエグレープフルーツ開設記念展Vol.2

丸山青、下城啓、中﨑はな、中﨑りん4人展

2023年4月29日(土)30日(日)

12:00−17:00


アトリエグレープフルーツギャラリー

東京都練馬区南大泉4−33−11


西武線保谷駅南口徒歩11分




第二回アトリエギャラリー開設記念展

丸山青・下城啓・中﨑はな・中﨑りん 『4人展』に寄せて

『子ども時代の絵』

子どもの絵についてこれまでも多くの有名な画家たちがその魅力や造形的な意味について語っていますが、現在でも「子ども時代の絵」についての重要な意義について私たちが納得し共有するほどの認識はまだ十分に成されているようには思えません。人間の発達史の観点から累計的・統計的に分析した美術教育学や研究書なども、子どもの絵が満身で「表現」しているそれぞれの感性や造形能力に着目して人間の創造力の初源にまで届くような眼差しに出会うことは稀なことです。そのほとんどが成長の過程として未分化で未発達なものとして通り過ぎてしまいます。人生の時間は社会的経験や教育によって知的に成長し発展していくという思い込みを疑わず、直線的な発達史や他の学習一般と同じ観点で子どもの美術を理解して大丈夫なのでしょうか? 

私は子どもの頃に美術を自分の仕事にしたいと思い画家になって既に50年以上が過ぎましたが、時間を忘れるほど熱中して絵を描いていた小学1年生の頃の充実感は半世紀以上を経ても未だに薄まることがなく私の人生の経験値となっています。いまでも時折思い出しますが、学校から帰り一人で絵を描いていたある日、時間を忘れて絵に没頭してしまい、いつの間にか夕方になり日が落ちて暗くなっても気がつかず目が暗さに慣れてしまいそのまま絵を描き続けていると後ろから突然「こんな暗いところでなにしてるの?」と母の驚いた声にハッとして部屋の暗さに気付き絵を描く手を止めた記憶が鮮明に残っています。人の一生は幼児期や青年期や成人期、そして老年期までその時間帯を重層的に生きているのであって、単純に子供が成長発達して成人に成ることとは違います。私にとっては少年期の美術の経験は自身の知覚の重要な体験として何度でも反復すべきこととしてあり続けています。その後、画家になって長い間絵を描き続けてきましたが、残念ながらあの少年時代以上の無償で無垢な熱中した時間を持つことは容易ではありません。

「子ども時代の絵」は将来の人生のための学習とか先送りされた未来のためにある単なる一過性ではなく、いま・現在の一回性を生きている感覚の充実感とそれぞれの生得的資質を素直に表現したものが「子ども時代の絵」の真価だと思います。それは職業画家たちの作為された希少性(個性)や技巧的な絵画の交換価値とは全く位相が異なり、むしろその通俗性をはるかに超えるほどの普遍的な価値を含んでいるようにも感じます。それは同時にその後の一人ひとりの人生全般に関わる重要な意味を持つ自己確認のよりどころとなる「心の容器の大きさ」を無心に確かめている大切な時間を過ごしているのだと考えています。


小島顕一・記

閲覧数:11回0件のコメント
bottom of page