東京新聞朝刊に取り上げられました
- kiiroie
- 2020年5月26日
- 読了時間: 7分
更新日:2020年8月29日
東京新聞5月5日の朝刊にアトリエグレープフルーツの活動が取り上げられました。
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/education/30972/





東京新聞事前取材 Q &A
(インタビュー東京新聞記者 青木孝行/ アトリエグレープフルーツ代表 井坂奈津子)
①アトリエグレープフルーツが発足日は、2008年の何月に発足しましたか。
発足のきっかけは何だったのでしょうか。また、理念をお聞かせください。
発足日2008年4月
青山学院大学のアメリカ文学の名誉教授だった吉田迪子さんが大学を退任し、自宅の一部を開放して、地域に開かれた学びと表現の「場」をつくりたいとはじめたのがアトリエグレープフルーツです。当時は美術だけではなく、文学、語学などの集まりもありました。
発足後すぐに吉田さんが発病、闘病の末2011年2月に亡くなられ、吉祥寺にあった自宅も取り壊しになってしまい、残ったメンバーで練馬区の元美容室だった八畳一間のスペースを借り、美術の活動を継続。場所も小さかったため、今のようなマンツーマン、少人数での活動が中心になり、一般的な絵画教室には通えない子たちが、たくさん集まるようになりました。さらにその場所も、東京オリンピック決定後、高速道路を作るために立ち退きとなり、2014年、現在の練馬区南大泉にある一軒家に移り、活動を続けています。
アトリエグレープフルーツの立ち上げ当初は、5名の障がいのある子どもたちが絵を描きに来ていました。この場所でひとりひとりの個性や能力、興味や好奇心を大事にして創ることをたのしめる場にしたいというのがはじめの理念です。
そしてそれに関わるわたしたちは技術的なサポート(画材の準備や絵具の解き方など)はしますが、それぞれの表現の内容には立ち入らないということを決めてスタートしました。
②「アトリエグレープフルーツ」と命名した理由は何ですか?
グレープフルーツという果物はあの黄色い大きな実がぶどうのように房となって生ることから名づけられたそうです。
そのたわわなイメージから、私たちの活動もひとつひとつ大きな実を枝いっぱい実らせたい
と願い命名しました。
③活動日、生徒の数、年齢は、何歳から何歳までですか?
活動日は毎週金曜日と隔週の火、土、日曜日
アトリエに通う人の数は現在45名
10歳から1番年上の方は50代になります。
④障害のあるなしにかかわらず、アトリエを開放していると伺っています。そのことで、子どもたちにどんな効果が生まれると考えていますか? 学校では、「特別支援」などと、隔たりのある教育の場となっています。
わたしたちのアトリエは基本的にマンツーマン〜少人数で、ひとりひとりの表現活動のサポートをしています。そのため特別なサポートが必要な人たちがより多く集まっています。しかしその中でも私たちの活動を理解し、通って来てくれる近所の一般の小学校に通う子どもたちも何名かいます。
わたしたちスタッフもそうですが、それぞれが自分の表現に向き合っている中では不思議と「障がい」という言葉がどこかへいってしまいます。
そんな雰囲気はみんな感じてくれているようです。
普段まわりのことを気にしないで自分の創ることだけにに熱中しているように見える子も、自分と同じ時間に通う子がお休みをすると「◯◯ちゃんいないね」と言い出します。ここに来る子たちはみんなアトリエに通う仲間だと感じているようです。
昨年は、市立の小学校で、アトリエに通う人たちの絵を展示し、小学校の美術の先生がその絵を教材に授業をするという機会がありました。後日、全校生徒から感想文が届きましたが、普段接する機会の少ない「障がいがある」と言われている人との出会いが助ける人と助けられる人に分けられるような福祉の場ではなく、美術の場であったことで、校内に飾られた絵画たちの圧倒的な個性の前に素直に驚き、共感し、自分はどうなんだろう、個性とはなんだろうと、自分のこととして考える感想が多くありました。このような視点を持つことは子どもたちがこれから様々な人たちと出会っていくときに大事になってくるのではないか思います。
⑤これまでの活動で、アトリエは、子どもにとってどのような場となっているのでしょうか?
アトリエの時間は、週に一回、又は月に2回の1時間〜2時間のわずかな時間ですが、
ひとりひとりのリズムをつくる大切な場になっているのを感じます。前日から明日のアトリエの時間を楽しみにして、創作のパワーを満タンにして走ってくる子、終わった日から指折りつぎのアトリエの時間を待っている子、また、反対にヘトヘトになって休みに来る子もいます。自分の時間を横になってただ何もしないで帰っていくこともあります。そうして自分のリズムを取り戻し、またそれぞれの場所に戻っていく、そんな場だと思います。
11年の活動の中で、2歳だった子が中学生になり、
小学生だった子が社会人になったりと、長い時間一緒に時間を過ごしてきました。
現在、アトリエでは学齢期を過ぎた人たちが多くなり、個展やグループ展などの発表の場をつくるサポートもしてきましたが、表現で社会とつながるような取り組みがこれからもっと出来ればいいなと思っています。
⑥新型コロナウイルス感染症に伴う休校措置で、結果的に子どもたちが学ぶ権利が奪われてしまいました。アトリエのホームページにも、「アトリエで絵を描くことが生活のリズムとなっている」と記されています。このことへの思いをおきかせください。
今回新型コロナウイルスの感染拡大によりアトリエも一時休止を決めました。今までの活動の中で、アトリエで絵を描く時間がそれぞれの大切な生活のリズムになっていることを感じていました。そのため2度のアトリエ引越しの際も、震災の後も一度も休むことなく開け続けてきました。休止により今までのリズムが崩れることを心配しましたが、今回はひとりひとりの命を守るために仕方のないことだと思います。
休止の間も、お家で絵を描いているというような声も聞きます。絵を描くということが大事な時間になっているようです。アトリエの再開を楽しみに待ってくれている人たちがいるので、休止の間もアトリエの「場」を維持し、再開後にまた少しずつリズムを取り戻していきたいと思います。
⑦学校現場の美術教育の改善点など提言があればお聞かせください。
学校の美術教育といってもそれぞれの先生によって取り組み方が全然違い、共鳴する授業をされている先生もたくさんいます。
全体を知っているわけではないので、学校の美術教育について提言というのは難しいですが、一年ごとの区切りの中でなにか「成果」を出さないといけないという中では見えにくくなってしまうこともあるのかなと思います。
アトリエでは、みんなが絵を描いている中で、窓の外の葉っぱが揺れて光がキラキラ動いているのをながめていたり、水を入れるボールをひっくり返してトンカチで叩いて音の微妙な違いを感じてあそんだり、2、3年そんなふうに過ごしていた子が、ある時急に絵を描き出したりということも起こります。
それは学校教育の中ではできないアトリエの特徴だと思います。
⑧芸術が、子どもの成長にどのような効果を生み出すと思われますか? お聞かせください。
特に特別支援学校では「訓練」が先にはじまってしまう印象があります。例えば「線をきれいに引く訓練」「正しいものを選ぶ訓練」など。はじめてアトリエに来る子の中には「絵を描く」ということがどういうことなのかわからない子がいます。ぱっと線を引いてみせて、これでいいでしょというように終わりにしてしまう子、好きな色を選べないで正解があるのではないかと顔色をうかがっている子。
そういう子には土粘土を一緒に触りながら手の感覚がよろこぶのを感じるところから根気よくはじめたりします。
例えばクレヨンがしっかりと持てず、整ったまっすぐの線は描けないけれど、
クレヨンの小さなかけらを指先でつまんで描く弱い筆圧の重なりが、その子自身の線になり、それが人の心を打つことがあります。
教育の現場ではいつも基準があります。またはいつもいつも目標がさきにあります。芸術の場ではそれがぜんぶひっくり返ってしまいます。絵を描く時間はただただ無償の時間であるし、自分の感覚からはじまることがいちばんなのです。
社会の中では学校があったり、職業訓練があったり、それぞれいろんな時間を過ごします。その中で芸術の時間というのは自分がまるごと肯定される場、こころの秘密基地のようなものを自分の中に持てるということだと感じます
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